幻の「諏訪跨線橋」を検証してみる。

タイトルからして意味不明だと思う。そもそも「諏訪跨線橋」とは何ぞや?…だろう。今回は、四日市鉄道㈱(※現在の近鉄湯の山線)が大正初期つまり鉄道敷設最初期に計画していたと思われる、現在の四日市市諏訪付近での三重軌道㈱(※後の三重鉄道㈱、現在の四日…

三重軌道・幻の「保光苑停留場」について

大正元(1912)年から5年まで存在していた三重軌道㈱。今回は昨年7月1日付の当ブログ「『幻の四日市連合駅』成立の真実。(前編)」内でほんの少しだけ登場した三重軌道㈱初期のわずかな期間のみ存在したと思われる「保光苑停留場」について書いていく。 とは書…

三重軌道が諏訪新道への敷設を断念したのはいつ?

三重軌道㈱が当初は諏訪新道に軌道を敷設しようと計画していたことは、この場でこれまで何度となく解説してきた。最終的には、諏訪新道よりやや南側の空閑地を買収し四日市鉄道㈱と並走する形で新設線路を敷設するという形に落ち着くわけだが、三重軌道㈱は…

うつべ街かど博物館は四日市随一の博物館。

四日市市采女町にある「うつべ町かど博物館」。 杖衝坂の中腹に建つ博物館全景。写真下の白いコンクリート道路部分が旧東海道。 地元・内部地域の歴史や文化を伝える旧東海道沿いの古民家を利用し運営している、地域住民手作りのミニ博物館だ。毎週金曜と日…

四日市鉄道㈱誕生は、明治44年5月27日。

前回記事に対して、大正5(1916)年3月に湯ノ山~四日市間を開業させた四日市鉄道㈱(※現在の近鉄湯の山線)が誕生したのはいつになるのだろう。三重軌道㈱と同様に会社設立年月日を調べてみると、明治44(1910)年6月15日付『官報』商業登記欄に「明治44年5月27日…

三重軌道㈱誕生は、明治43年12月が正解。

新年最初の記事は、ストレートかつ簡単な話題から始めようと思う。 現在の四日市あすなろう鉄道はいつ誕生したのだろう。そんな素朴な疑問を抱いた方はまず間違いなくスマホ片手に「■ikipedia」等で検索をかけて調べるだろう。あるいはそういう端末を持って…

ご挨拶:今年1年有難うございました

2023年もあと少しで終わります。 今年は4月から7月にかけて国立公文書館及び大宮鉄道博物館への公文書閲覧が実現したことによって、県内図書館だけではどれだけ調査してもほとんど詳細がつかめなかった三重軌道㈱創立当初~三重鉄道㈱への移管開業あたりの歴…

閑話休題:当初は観光地駅だった八王子駅。

大正元(1912)年8月、現在の「四日市あすなろう鉄道」の原型となる三重軌道㈱により日永~八王子駅間が開通・開業する。 以前にも紹介したので詳細は割愛するが、自身の鉄道敷設目的を「交通補助機関」=「旅客運輸」へと変更していた三重軌道㈱は経営にあた…

三重軌道㈱最初期の計画ルートをたどる③(最終回)

前回の続き。「国道里道及専用線路経過地調書附専用線採擇ノ理由」中、今回は「四」~「六」の経路について検証していく(下写真赤線囲み部参照)。今回も前回同様、昭和38年発行の『四日市市新住宅宝典』と昭和13年4月改調『旧土地台帳』との地番照合で経過地…

三重軌道㈱最初期の計画ルートをたどる➁

前回紹介した明治42(1909)年10月21日付提出「国道里道及専用線路経過地調書附専用線採擇ノ理由」(下写真、鉄道博物館所蔵『鉄道省文書』より)に記された明治42年時点当初での計画経路を現代地図に置き換えてみようと思う。今回は四日市市役所2階「資産税課」…

三重軌道㈱最初期の計画ルートをたどる①

これまでの記事で「三重軌道㈱創設時当初の計画では、現在の旧東海道(旧国道)及び諏訪新道上に軌道を敷く計画だった」、と何度も紹介してきた。これらは後に三重軌道㈱(※注)の取締役陣となる発起人7名により明治42(1909)年10月21日に提出された「軌道敷設特…

室山駅に関して新たなる発見!

2か月ほど前に再度室山駅の歴史についての考証を前後編にわたって書いてきたが、その後再び県立博物館にて史料閲覧をした際、前回発見できなかった新たな図面を発見した。その中に室山駅の歴史と変遷を確定づける決定的な記述を見つけることが出来たので、今…

新・日永駅の真実(後編)

後編では、鈴鹿支線(現・内部線)延伸される際の日永駅の経緯について見ていく。 その前に、そもそも鈴鹿支線の計画はいつ頃どのような理由で立ち上がったのか。鈴鹿支線計画の出発点を探ると、昭和11(1936)年出版の絹川太一編『伊藤傳七翁』という書籍に突き…

新・日永駅の真実(前編)

次は八王子・内部線の分岐駅、日永駅について考察する。 大正元(1912)年8月三重軌道㈱の日永~八王子間開業以来より存在し、大正11(1922)年の内部線(当時は鈴鹿支線と呼称した)延長開業以降は特殊狭軌(ナローゲージ)の分岐駅として現在では広く認知されてい…

閑話休題:相変わらずの歴史誤認

現在、日永駅の歴史についてまとめている最中。前後編に分け紹介予定ではありますがどうなることやら。とりあえず、短文ながら少し個人的な意見を述べさせていただきましょうか。読み流していただければ。 つい最近でもホームページ等で四日市あすなろう鉄道…

新・室山駅についての考察(後編)

前回末尾で紹介した写真を改めて提示する。 現在改装中の四郷郷土資料館にて掲示されていた「室山駅」の図面である。駅舎の他に伊藤メリヤス工場・伊藤醤油部工場なども書かれた駅周囲の情報を知る上で貴重な図面といえる。図面左上には「三重軌道開通」とも…

新・室山駅についての考察(前編)

前回三重県立博物館に所蔵されている「三重鉄道敷設関係図面」内の複数内容の一部を紹介した。今回はこれらの図面が示す歴史を紐解きつつ、これまで何度も考察してきた三重軌道㈱時代の「室山停車場」の謎について迫りたいと思う。一個人の「一推論」として…

三重県立博物館の貴重な資料を閲覧。

先日、三重県立博物館が所蔵する「三重鉄道敷設関係図面」という史料を閲覧する機会を得ることができた(下写真)。これは三重県ホームページ内「歴史の情報蔵」という所 「三重鉄道敷設関係図面」表紙。大正5~11年の関係図面(原書)が保存されている。ちなみ…

大正5年「四日市連合駅」の真実(最終回)

前・中・後編と3回にわたり書いてきた「四日市連合駅」についてだが、最後は同駅の開業に関しての知られざる真実を書こうと思う。 前回は三重軌道㈱が1915(大正4)年11月6日付「停留場及線路変更並貨物連絡所設置之義御願」を提出し、ようやく四日市鉄道㈱線…

「幻の四日市連合駅」成立の真実。(後編)

中編では四日市鉄道㈱が立て続けに変更申請を出しては取消しを繰り返していたところまでを書いた。くどいようだが、改めて「四日市連合駅」成立の3条件を明記する。 ①四日市鉄道㈱と三重軌道㈱の軌道交叉(水平交叉)の廃止 ➁三重軌道㈱が四日市鉄道㈱の計画…

「幻の四日市連合駅」成立の真実。(前編)

今回紹介する「四日市連合駅」は、三重軌道㈱と四日市鉄道㈱の二つの軽便鉄道が乗り入れる全国的にも珍しい軽便鉄道のターミナル駅のことで、駅舎開業は1915(大正5)年3月23日、『伊勢新聞』が3月21日付記事にて伝えている。 「四日市鉄道三重軌道連合駅竣工…

「幻の四日市連合駅」成立の真実。(中編)

前回は三重・四日市両鉄道間で初めて交わされた協定書(大正2年5月14日付)を変更申請書とともに四日市鉄道㈱が提出し、同年9月に両社共同乗降場である「諏訪停車場」(もともとは三重軌道㈱の保光苑停留場)を設置したところまでの話を書いた(下写真参照)。 国…

四日市連合駅の話の前に新情報をひとつ。

前回「諏訪新道敷設案」の中編内で書いた、明治43年3月15付三重県知事副申に関して諏訪付近での軌道交叉に対する三重軌道㈱と四日市鉄道㈱両社の折衝の可能性について触れた。 『鉄道省文書』「第十門 私設鉄道及軌道 三 軽便鉄道 三重鉄道-元四日市鉄道 巻…

三重軌道「諏訪新道敷設」に関する個人的見解。(後編)

前回(中編)の続き。三重鉄道㈱に軌道敷設免許、四日市両鉄道㈱に軽便鉄道敷設免許が下付されたところまで書いた。今回は「諏訪新道への軌道敷設」問題のみに焦点を当てて書きます。長くなりますがご容赦を。 ここで、敷設特許免状を受けた両鉄道の建設予定ル…

三重軌道「諏訪新道敷設」に関する個人的見解。(中編)

前回の続き。三重軌道㈱の軌道敷設特許申請が1910(明治43)年1月15日の参事会議会で賛成決議され,、三重県に開申(三重県庁を通じ鉄道院に請願される)されたところまでを書いた。 ・・・が、その前にお詫びを一つ。前回記事で四日市鉄道㈱と全て表記しておりま…

三重軌道「諏訪新道敷設」案に関する個人的見解。(前編)

過去に書いた記事で、三重軌道㈱が諏訪新道路上に軌道を敷設しようと計画していた事は何度も書いた。この計画を仮に現代の感覚で四日市市(役所)側から考えてみれば、「つい数年前に予算をかけて改修した(明治40年完成)ばかりの新しい道路に線路を敷くなどと…

四日市駅と諏訪駅①『日比義太郎日記』は面白い

先日、図書館でたまたま発見した『日比義太郎日記ー四日市昭和創世記-[翻刻(Ⅰ)]』(人間社・2017年7月1日刊)を読んだ。明治末期から昭和初期にかけ四日市市で活躍した経済人・日々義太郎(ひび・よしたろう)氏が書いた日記、1926(大正15)年7月26日から1928(昭…

「伊勢八王子駅」駅名改称に関する新情報が取れた

ずっとずっと念願だった、国立公文書館へと足を運ぶことができた。調べても調べてもなかなか確かな新しい情報をつかむ事ができず、同時にプライベートでも色々とあって時間がかかってしまったが、やっと少しだけ前へ進む事が出来た。(ただ、現時点でプライベ…

※閑話休題「養老鉄道」

前回の話の流れで、三重軌道㈱の院線四日市駅への延伸における敷地買収難には「養老鉄道㈱」も関係しているのではないかという、個人的で根拠のない推測を書きました。今回はその推測の説明のために簡単に(?)「養老鉄道㈱」のことを書こうと思います。とは…

新聞記事から見る三重軌道㈱その③「軽鉄敷地買収難」

さらに続き。『伊勢新聞』記事から三重軌道㈱の足跡を追う。 まずは『伊勢新聞』に掲載された写真から(以前の記事でも紹介したもの)。 明治45年7月20日付『伊勢新聞』 コピーが不鮮明で読み取りにくいが、写真右側に「江勢道路全線踏査の一行(三重軌道室山驛…