鵜ノ森駅の情報はもっとない。

1912(大正元)年開業から現在まで109年間稼働している四日市あすなろう鉄道八王子線・内部線の区間内には、廃止区間部分も含め短期間のみ存在していた、いわゆる「幻の駅」が多く存在する。前回紹介した「南浜田駅」もその一つ。が、この駅は開業初年から1944…

南浜田駅の情報はない。

令和3年現在、四日市駅から延びる「四日市あすなろう鉄道」は四日市~内部間を走る「内部線」と途中の日永駅から分岐する一駅区間だけ(日永~西日野間)の「八王子線」とに分類されている。が、以前から何度も紹介しているように、かつては先に開業していた「…

室山駅の変遷が知りたい。

以前2月のブログで、四郷村・室山周辺に広がる製絲・製茶・メリヤス工場へ出入荷する製品や燃料などの貨物運搬用に「室山驛には駅構内に旅客用とは別に貨物用引き込み線が設置されていた」という記事を書いた。これらは以前紹介した四郷郷土資料館に展示され…

四日市商業会議所と伊藤小左衛門。

珍しく鉄道に関係のないタイトルの話題を書きましたが、これも実はちょっとだけ八王子線の設立経緯に関係しているお話です。 日本でも有数の貿易港として商工業が発達し隆盛を誇った明治~大正期の四日市港を持つ四日市市でも、他の地域同様早くから地元の実…

大正3年三重軌道㈱が起こした事件ともう一つの「赤堀駅」

今回の話題も、以前紹介した三重県立図書館蔵の『伊勢新聞 四日市関係記事索引』から興味を引いた記事見出しから抽出した『伊勢新聞』記事を閲覧してきました。 『汽車に焼れた損害』大正3.5.4 『家を焼れた損害/軽鉄機関車のために』大正3.5.6 『損害賠償の…

『四日市市史』より。「諏訪駅にサービス嬢登場」

『四日市市史』第12巻P.905に、1938(昭和13)年の諏訪駅の新サービスを紹介する記述がある。主題は「五七〇 諏訪駅にサービス嬢登場」で、昭和13年11月13日『伊勢新聞』記事からの抜粋のようだ。 「湯の山はお乗替へ願ひます 参急諏訪駅に優しいサービス嬢 関…

三重軌道㈱発起人・伊藤小左衛門。

1910(明治43)年10月19日、「三重軌道㈱」が四日市~室山・伊勢八王子間を結ぶ軌道敷設特許を下付されたことは以前の記事で触れた。同年12月28日、同会社は正式に設立され(設立登記日は翌年1月9日(※『官報』1月16日掲載)、その取締役筆頭(社長)は発起人の一人…

大正2年の三重軌道機関車脱線事故。

津市にある三重県立図書館には明治期以降に発行された過去の新聞が何種類かマイクロフィルムの形で保存され閲覧できるようになっている。その中でも最も蔵書が豊かなのが『伊勢新聞』で、多少の欠落はあるものの最古で明治11年までさかのぼって閲覧すること…

『四日市市史』より。「西日野停車場設備変更」

『四日市市史』第12巻P.910に、興味深い史料が紹介されている。 「五七六 三重鉄道 西日野停車場設備変更」という主題で、その内容は三重鉄道㈱が大阪鉄道局長宛に提出した申請書「菰野外四駅設備変更の件」のうち、菰野駅と西日野駅の2駅についての設備変更…

企画展「昭和のくらし昭和の風景」に行ってきた。

四日市市立博物館にて市制123周年企画展として開催されている「昭和のくらし昭和の風景」展(R3.1/2~2/28)が本日最終日という事で行ってきた。ちなみに観覧料は400円。 企画展「昭和のくらし昭和の風景」チラシ 企画展の名前が「昭和」ということもあり幅広…

西日野駅も、移動する?

なるべく週2回書くことを自分なりのささやかな目標としていたが、ちょっとした私用で時間が取れず、早くも挫折してしまった(汗)。まあ気楽に続けよう。 過去の書き込みで、大正~昭和初期のわずかな期間に諏訪駅は3度も場所移動した、という記事を書いた。…

昔を知る人ほど順番にはこだわるらしい。

「内部線」「八王子線」を同列で語る際、僕も含めておそらく大多数の人間が「内部・八王子線」と呼ぶかと思う。例えば、近鉄四日市到着前に車内で乗り換えの案内をする現在の近鉄職員や四日市あすなろう四日市鉄道職員(車掌とか)などだ(※実際はどうかは知り…

諏訪駅「転車台」 に関する私的考察。

1月22日に書き込みをし事情により延期をしていた諏訪駅の「転車台の謎」について、ようやく段取りが整ったので書いていこうと思う。まず最初に、今回の記事はあくまで何の知識も持たない僕個人が、収集した情報から現時点で導き出した「私的考察」であること…

日永駅には浴場があるらしい。

国立公文書館にて保存されている「鉄道省文書」(「国立公文書館アーカイブ」で一覧を確認することが出来ますので、是非一度どうぞ♪)の「三重鉄道」関係文書の一覧中に、 1928(昭和3)年11月6日付文書「日永停車場構内浴場増設の件」 という題目の文書がある。…

「室山驛」の写真の謎について考えよう。

前回紹介した『伊勢新聞』の記事内写真の「三重軌道室山驛」について考える。分かりやすいように、改めて画像を紹介する(※多少画像が粗く見にくいのはマイクロフィルムとして保存されているものを印刷しているため、なにとぞご了承頂きたい)。 タイトルで「…

初期の八王子線「室山駅」写真、ですか?

今回は1枚の写真から話を進める。こちらは1912(明治45)年7月20日付『伊勢新聞』に掲載されたものである。 「江勢道路全線踏査の一行」(『伊勢新聞』M45.7/20付掲載) タイトルに「江勢道路全線踏査の一行(三重軌道室山驛にて撮影)」とある。文中にある江勢道…

昭和初期、激動の諏訪~四日市間について。

1916(大正5)年2月5日、院線(現JR)四日市駅の西側から諏訪駅(現在の諏訪栄町)間を、先に開通していた三重軌道㈱(後に三重鉄道㈱と改称)と並行するように四日市鉄道㈱が蒸気軌道を開通させる。大雑把に説明すると、現在の近鉄四日市駅からJR四日市駅(の少…

前回の続き、「伊勢八王子」駅の名称について。

前回「伊勢八王子」駅の名称の変遷について書いた。この問題は僕も以前から気になっていたので、色々な資料を検索しては何か手掛かりがないかと調べている途中だった。「八王子村」⇒「伊勢八王子」への変更時期は「昭和2~5年の間」と前回書いたと思うが、つ…

「伊勢八王子」駅の名称について。

前回の書き込みで「諏訪駅の「転車台」について…」という話をしたが、現時点でまだ資料の出典元が確定できていないため(汗)延期とすることとしました。すみません。次回にはより分かりやすくするため当時の写真を掲載しようと思うのですが、そのための出典先…

諏訪駅のことが知りたい。

四日市港からの貨物運搬を敷設の主眼としていた「三重軌道㈱」(※後に「三重鉄道㈱」と改称)は、1912(大正元)年の日永~八王子村間を皮切りに、日永~南浜田間、南浜田~諏訪前間と少しづつ延伸開業距離を伸ばしてゆき、ついに3年後の1915(大正4)年12月、諏訪…

三重軌道㈱の生みの親、伊藤六治郎。

前述した三重軌道㈱は1910(明治43)年12月28日に創立総会を開催、取締役筆頭・伊藤小左衛門以下計7名をもって設立された。 しかし、実際に三重軌道㈱八王子線が走る地元・四日市市四郷村の歴史をまとめた冊子『四郷ふるさと史話』(平成11年12月20日初版・発行…

全ての始まりは三重軌道㈱から。

現在四日市市内を走る「四日市あすなろう鉄道」の起源は、1912(大正元)年8月14日に日永~八王子村駅間を開業した「三重軌道株式会社」に始まる。会社としての設立と解釈するなら、正確には『官報』商業登記欄にて「資本金10万円、取締役伊藤小左衛門(…以下7…

最初に疑問に思ったのが、西日野駅。

お風呂入浴のため、一時中断。 多くの鉄道ファンの方が昭和30~50年代当時の近鉄八王子線の写真を残して下さっていたおかげで、あたかも自分が乗ったことがあるような錯覚さえ覚えるほどの鮮明さで電車や駅、周囲の風景を感じることが出来ました。その中で、…

今、個人的に、八王子線のことがすごく知りたいんです。

今、個人的に、八王子線のことがすごく知りたいんです。 ふとしたことがきっかけで、近鉄八王子線の事を調べ始めた。 …あ、今は「四日市あすなろう鉄道八王子線」という呼称になっている。2014年まで近畿日本鉄道(近鉄)が保有・運営していた三重県四日市市内…