最初に疑問に思ったのが、西日野駅。

お風呂入浴のため、一時中断。

多くの鉄道ファンの方が昭和30~50年代当時の近鉄八王子線の写真を残して下さっていたおかげで、あたかも自分が乗ったことがあるような錯覚さえ覚えるほどの鮮明さで電車や駅、周囲の風景を感じることが出来ました。その中で、ふと写真を見比べて感じた疑問がありました。

写真を貼り付けた方が一目瞭然で説明しやすいのですが、他者様の画像を勝手に拝借する訳にもいかないのでページ紹介だけにさせて頂きますが、『津島軽便堂写真館』様というページに「近鉄内部・八王子線4西日野」というページがあります。

http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kintetsu/utsube-04.html(勝手に掲載してすみません)

ここに写っている西日野駅、まるでバス停かと思えるような簡素な作りの駅なのですが、1972(昭和47)年に撮られたものと1973(昭和48)年に撮られたものとでは、駅舎中央にある雨除け用と思われる片屋根の施設が後年の方では撤去されています。そのまま放置かと思いきや、別場所で公表されている1973年11月に撮影された駅の写真では、仮設材料と思われる資材で片屋根が設置されている様子が確認できます。…この間にいったい何があったんでしょう。ただの老朽化による建て替えだろうか。そんな一見どうでも良い疑問に突き当たったのが、今につながる八王子線研究の始まりだったと思います。西日野駅のこの片屋根の経緯について、ご存知の方はおられるのだろうか。

 

この1年半か2年、何度も図書館に行ったり郷土資料館に足を運んだりして、自分なりに素人でできる調査研究を重ねていますが、何せ後進からのスタートですしもともと基本情報を何も持っていないため、今もなお抱いている多くの疑問をなかなか解決できずにいます。

以前から「ブログは日記みたいなもの」という話を聞いていたので、その時僕が感じたことを書き留めておいて、もし万が一にもそのことについて興味がある人、自分の知らない知識を持っている人が、何かの拍子でこの文章を見つけて読んで下さって新しい情報を得ることができたら、ご意見が得られたら幸い…と思い、ブログを始めることにしました。無論、そんな上手く事が運ぶとは思っていないので、現在自分が行っている調査研究の内容と主観が主な内容です。調査が進む度、以前に書いていた主張と変わる部分があるかもしれない。そういう変化も楽しみたいと思っています。以上   1/17