昭和初期、激動の諏訪~四日市間について。

1916(大正5)年2月5日、院線(現JR)四日市駅の西側から諏訪駅(現在の諏訪栄町)間を、先に開通していた三重軌道㈱(後に三重鉄道㈱と改称)と並行するように四日市鉄道㈱が蒸気軌道を開通させる。大雑把に説明すると、現在の近鉄四日市駅からJR四日市駅(の少し北側)間を横断するように東西に2本の線路が走っていた、というイメージだろうか。…今考えるととてもワクワクする(?)景色である。

それから約11年後の1927(昭和2)年、名古屋から伊勢神宮までの鉄道による直通運転を目指していた伊勢電気鉄道㈱のカリスマ社長・熊沢一衛は3月に四日市鉄道㈱の、8月には三重鉄道㈱の全株式を取得、社長にも就任し両社を傘下に収める。熊沢が、既に発展著しく新たな軌道敷設敷地の余裕のない四日市内において、院線四日市駅の直近を通るこの2社の路線敷に注目するのは自然な流れではないかと推測する。結果、同年11月に四日市鉄道㈱、翌年11月に三重鉄道㈱の同区間を廃止しこの路線敷を利用し1929(昭和4)年1月30日、これまで途絶していた桑名~四日市間を結び営業開始するのである。

ところが、この2年間の諏訪駅周辺に起こった一連の流れを詳しく解説してくれる資料が見当たらないのだ。「2路線を廃止、その上に新軌道敷設」と単純に片づけてしまうのは簡単だが、だとすれば前述した四日市鉄道廃止と三重鉄道廃止との間の1年間の空白は何なのだ、三重鉄道廃止から伊勢電気鉄道㈱開業までの3か月間は交通手段なしですか、いい加減ですねという話になる。この謎が気になって、色々とそれに関連しそうな断片的な記述などを資料(四日市市史』等)やWikipedia(笑)から拾い集めてみた。とりあえずこれらを要約し箇条書きにしてみる。

・三重鉄道・四日市鉄道両路線が並行して走っていたが、1928(昭和3)年に廃線となり、代替交通として四日市市で初めて路線バスが設定された

・当時電化されていたにもかかわらずジ41小型ガソリン動車を購入した四日市鉄道㈱は将来の三重鉄道との合併を前提として、三重鉄道の四日市市~諏訪前間への乗り入れ運転の実施及び新型電車へ置き換える間の暫定措置として導入した

・伊勢電気鉄道四日市~桑名間(泗桑線)延長工事に伴う四日市鉄道の路線譲渡と廃止に際し、同区間の代替路線として一時的に非電化であった同区間への乗り入れが実施された

・1929(昭和4)年の四日市~桑名間開業は単線での開業であり、複線化は1938(昭和13)年4月13日。※ただし、Wikipedia「伊勢電気鉄道」項の年表では1929(昭和4)年1月30日で複線での開業、となっている

昭和2年四日市地図では四日市鉄道㈱諏訪駅東方(四日市方面)直後で三重鉄道の路線と合流しているような絵になっている(単に省略化されているだけであろうが)

なお、Wikipedia近鉄四日市駅項の年表では、三重鉄道㈱の四日市市~諏訪前間廃止時期を1928(昭和3)年1月29日としているが、当方では『地方鉄道及軌道一覧:附専用鉄道 昭和10年4月1日現在』「三重鉄道㈱」欄(P.102) 記載の「1928(昭和3)年11月20日」を採用している(※こちらの資料も国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧可能ですので良かったら確認してみて下さい♪)。

 

これらの情報がすべて正しいものとは思わないが、仮に全て本当だとすれば断片的情報から一つの仮説が生まれる。

まず、1927(昭和2)年11月に四日市鉄道㈱四日市市~諏訪間の路線を廃止。その後、並行して走る四日市鉄道㈱(北側)の路線敷だけを特殊狭軌(762㎜)から狭軌(1067㎜)への布設替工事を始める。それと前後し、四日市鉄道㈱の諏訪駅から先の軌道を三重鉄道㈱の南浜田~諏訪前間の軌道と合流させる。これで、四日市鉄道㈱はあらかじめ導入しておいたガソリン気動車ジ41形を使って非電化区間三重鉄道㈱の諏訪前~四日市市間に乗入れ運転を行う事で乗客の不便を解消した(ただ、この区間はおそらく三重鉄道扱いとしていたのだろう)。改軌工事は桑名方面から進められ、終着の三重鉄道㈱四日市市駅の一部が残され使用されたか、距離を短縮し工事用の仮設四日市市駅が設置されたかもしれない。ついでに言えば、もしかしたら並行して走る三重鉄道㈱の軌道は工事の際の骨材資材運搬等にも使用されたかもしれない。やがて工事は院線四日市駅付近まで進み、いよいよ1928(昭和3)年11月20日三重鉄道㈱四日市市~諏訪前間が廃止され、同時に東海道筋を横断する軌道の南西側に三重・四日市鉄道㈱合同の2代目諏訪駅が始発駅として開業する。この頃には、伊勢電気鉄道㈱諏訪駅も軌道の北西側に開業こそしていないものの駅としての体裁は完成している可能性は高いだろう。そして、伊勢電気鉄道㈱が開業する1929(昭和4)年1月30日までの約3か月間だけ、新諏訪駅~院線四日市駅前までの代替交通手段として同区間四日市市初の路線バスが設定されたのではないだろうか(バスルートはおそらく、諏訪駅から東海道を北上し諏訪新道へ右折、本町踏切を渡って院線四日市駅東口に到着ではないか)。この後は伊勢電気鉄道㈱が単線のまま開業しようが複線化しようがどちらでも構わないですが、この工事によって有名な善光寺カーブ」「天理教カーブ」が生まれることとなります。

僕個人の勝手な妄想ではありますが、なかなか現実的で結構良い案ではないかと思うのですが、如何でしょうか(笑)。とにかく、この妄想が正解でも間違いでもどっちでもいいんです、実際のところの変遷を知りたいのです。ご存知の方がおられたらぜひともご教示頂きたいところです。今日も楽しい妄想が出来ました。次は何を妄想しよう。

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