『四日市市史』より。「西日野停車場設備変更」

四日市市史』第12巻P.910に、興味深い史料が紹介されている。

「五七六 三重鉄道 西日野停車場設備変更」という主題で、その内容は三重鉄道㈱が大阪鉄道局長宛に提出した申請書菰野外四駅設備変更の件」のうち、菰野駅と西日野駅の2駅についての設備変更内容の確認・照会及び指示を、所管の大阪鉄道局が文書で問い合わせてきたため、それに対する三重鉄道㈱の回答文書のようだ。(※鉄道省文書「三重鉄道」運輸省蔵)

大阪鉄道局側の確認内容を簡単に要約すると、

①西日野停車場において、

 (イ)用地界を明示すること

 (ロ)停車場本家が既に存在するのに、新たな切符売場を設置しなければならない理由を説明すること

菰野停車場における乗降場延長に関して、その構造を明示すること

というもののようでした。話題に上らなかった他の2駅はどこの駅だったのだろうか、発端となった菰野外四駅・・・」の鉄道書文書を国立公文書館に直接閲覧しに行かない限り判別できないのが残念だ。それはともかく、鉄道局の問いに対し三重鉄道㈱側は①の(イ)、②については別紙図面を添付することで、①の(ロ)に関しては理由書を添付して回答している。(※なお、四日市市史』内では添付の別紙図面は省略されており見ることはできない)

①の(ロ)、理由書の内容を要約すると、

「停車場本家(駅舎)は、その一部を従業員に有賃住宅として貸与し切符を家族に委託販売させていたが、現状では乗降客の整理が不十分なため、新たに切符売場を設けて出札係を配置し乗降客の整理を行うため」

ということのようだ(四日市市史』第18巻P.733) 。ただ、文書内の「新たな切符売場」「出札係の配置」が駅構内のどの位置に配置されたのか、駅ホーム上にあったのかどうかなどの詳細はこの文書内では確認することはできない。①の(イ)の別紙図面を閲覧できれば、詳細な駅の構造が分かるかもしれないが。

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西日野駅を伊勢八王子方面を向いて撮影(昭和33年頃)西日野駅立看板より

前回記事にて紹介した写真でも分かる通り、戦前・戦後通じ線路に隣接する西日野駅はプラットホームのみの構造で、理由書でいう「停車場本家(駅舎)」は存在していない。確証はないが、上写真右端に写っている道路向かい(北側)に建つ民家、これが元・西日野駅停車場本家(駅舎)と推測する。そしてプラットホーム上の乗客奥、小さく囲われた片屋根の建屋が見える。これが文書内でいう「切符売場」であったかどうかは不明(売場にしては小さすぎる気がする)だが、乗降客を整理する「出札係」の待機所であったのは間違いないだろう。この出札係待機所の存在は、多くの鉄道ファンが撮影された昭和30年後半~40年代の旧西日野駅の写真にはほとんど写っておらず(骨組みらしき痕跡はあるが)、実はこの写真は前出の鉄道省文書の内容を証明する貴重な1枚ともいえる。

前回の記事「西日野駅も、移動する?」にて、「1948(昭和23)年の電化工事の際ホームを移設したのでは?」・・・と妄想(笑)を書いたが、もしそれが事実だとしたら上写真の旧西日野駅は戦後移設された駅の写真になるわけで、今回紹介した鉄道省文書内の旧西日野駅は戦争末期~電化までのわずか5年ほど存在していたもの、ということになる(もちろん全て想像)。真実はどこにあるのだろう。興味は尽きない。以上 03/07