四日市商業会議所と伊藤小左衛門。

珍しく鉄道に関係のないタイトルの話題を書きましたが、これも実はちょっとだけ八王子線の設立経緯に関係しているお話です。

日本でも有数の貿易港として商工業が発達し隆盛を誇った明治~大正期の四日市港を持つ四日市市でも、他の地域同様早くから地元の実業家らによってそういった地域商工団体の前身が複数発足・設立している。最終的に現在も四日市市に存在する四日市商工会議所」の前身は、1889(明治22)年四日市の経済人の親睦組織だった「十二日会」で、その後1893(明治26)年5月に四日市商業会議所」として発足したものということだ。目的はもちろん四日市市内の商工業の永続発展を目指すものであるが、その頃には既に三重郡・四郷地区で伊藤小左衛門や伊藤傳七らが製絲・製茶、醸造・紡績業などの工業を発展させており、四日市商業会議所」としてもこの地区の存在は無視できなかったのであろう、四日市市に属しない(三重郡)にもかかわらず「四郷村」としてこの地区を商工団体に所属させており、伊藤小左衛門・伊藤傳七の他酒造業の笹野長吉・川島傳左衛門、瓦商の小林庄平ら5名が名を連ねている(四日市商工会議所百年史』より)。四郷村側からしても、取引先などと緊密に連絡を取るために電信局を持つ四日市と良好な関係を維持することは必要であったと思われる。

ところが、明治も後半に入ると四日市市三重郡四郷村の関係にも変化が生じ始める。1906(明治39)年伊藤小左衛門や伊藤傳七の弟など地元の有志により「四郷商工会」が設立、その3年後の1909(明治42)年四日市商業会議所」から脱退し、独自の路線を歩み始める。前出四日市商工会議所百年史』P.237「明治四二年四郷村の会議所地区からの脱退」の項に、

「…(中略)…村内有権者の経費負担問題からの独立機運が生まれ…」

という一文がある。「経費負担」が何を表しているのか不明だが、おそらく団体所属議員が団体に支払う会費(のようなもの)であろう。その金額がどういった基準で選定されていたのかは興味はないが、少なくとも1898(明治31)年の同会議所の所属議員名簿内の租税負担額を見ると、1位は九鬼紋七ながら3位に伊藤傳七、4位伊藤小左衛門、6位に笹野長吉と、わずか数名しか所属していない四郷村に籍を置く豪商がトップ10内に3人も入っている。租税額と会議所の運営とは直接関係はないだろうが、四日市市在住の商工業者百数十人が所属している中で四郷村の数名が当会議所、はては市内の産業界に対しただならぬ貢献をしていることは間違いない。これは僕の個人的な想像ではあるが、四日市市の商工業発展」を目指す四日市商業会議所」の活動はあくまでも「市内」に利するものであり、遠く離れた四郷地区にはその「利」が直結するものではなかったのであろう。その不公平感・不満が「四郷商工会」設立、そして最終的に「団体からの脱退」という形で現れたのではないだろうか。

※参考「時代に乗りインフラ整備-四郷地区商工会設立」(三重県県史編纂班)

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=275

 「四郷商工会」は、四日市商業会議所」にも所属していた3年の間に四郷地区室山に電信局を設置する運動や鉄道(三重軌道㈱)敷設運動などを行っている。特に地元・室山への電信局設置が取引先企業との連絡や商売に必須だったことから「四郷商工会」にとっての悲願だったのであろう、この電信局設置運動が成就した前後にもはや「メリットなし」と判断したのか、四日市商業会議所」(所属地区)を脱退している。伊藤小左衛門はこの際「四郷商工会」の代表として、四日市商業会議所」宛に書面を提出している(※末尾資料参考)。もちろん脱退したからといって完全に関係を断絶したわけではなく、別々の商工団体として対等な関係で交流していたであろうと思われる。ただ、この後次々訪れる金融恐慌など不況の波は、地元産業の衰退とともに小さな村の商工団体の目的と意義を失わせていくことになる。八王子線は、そういったかつての地元商工団体の落とし子のひとつと言っても良いのかもしれない。以上 04/11

 

※参考資料 四日市商工会議所百年史』P.239より

「禀請書

 三重県三重郡四郷村ヲ四日市商業会議所ヨリ削除ノ件

理由 明治二十六年四日市商業会議所ノ創立ニ際シ本村モ亦其地区内ニ編入セラレタリ爾来本村ノ商工業漸次変遷シ四日市市トノ関係昔日ト異リ今ヤ本村商工業ノ為メ独立機関ヲ要スルニ至リシニ由ル 本村ハ本村商工業ノ希望ニ有之候就而ハ特別ノ御詮議ニヨリ御採択相成度並ニ貴会議所有権者連署ヲ以テ及禀請候也 

明治四十二年十月九日 三重郡四郷村大字室山 伊藤小左衛門 外二十五名連署

 四日市商業会議所会頭 九鬼紋七殿」