【緊急】室山駅の新たなる謎を発見

つい2週間前、「室山駅」について現時点での自身の見解と考察を書いたばかりだが、先日別件の調査で今年3月にリニューアル(耐震補強)工事を終え再開館した「旧郷村役場(現・四郷郷土資料館)」を訪問させていただいた際、話の流れで同資料館内に保存されている郷土資料を直接閲覧させていただく機会を得ることが出来た(☆同資料館関係者の皆様のご厚意、心より感謝申し上げます☆)。そこには主に江戸~昭和初期にかけて四郷周辺の経済を支えた「伊藤醤油部」その他地元民間企業の売上伝票など当時をうかがい知ることのできる多数の貴重な史料が所蔵されていた。その史料中から「室山駅」の変遷における新たな情報が出てきたので、緊急報告として前回ブログ記事と関連付けながらこれを紹介していきたいと思う。

 

まずは現地で発見した青図面を紹介する。

同図面には正式な工事名称は書かれていないが図面は「工場地域平面図」となっている

この図面は、当時の室山駅北側の「伊藤メリヤス㈱」工場から当時の三重交通八王子線室山駅上空及び天白川上を横断し、南岸の(元)伊藤製茶部工場敷地へ電線を架線したい旨の申請図面の一部であろうと推測される。図面中央部には天白川北岸の室山郵便局横から天白川南岸の河川敷付近まで赤ボールペンで南北に横断するラインと✖印(電柱か?)が引かれており、右下には「昭和二十三年吉日」「伊藤メリヤス株式会社」の文字が確認できる。実際の工事内容の詳細や実現の有無等は残念ながら不明だが、この図面中には衝撃的な様子が描かれている。

前回ブログで、「室山駅」の変遷を4つの時代に区分し昭和49(1974)年7月の水害まで稼働した④3代目室山駅を「昭和7(1932)年~昭和49年」としていた。さらに、その一つ前の③2.5代目室山駅(昭和3(1927)年~昭和7年)形成の際に

「それまで存在していた転轍機を撤去する際、(おそらく)同時に軌道(線路)敷を再び天白川最北岸に戻したのではないだろうか」

という仮説を立てつつ紹介したと思う。仮に前回の仮説が正しいとすれば昭和7年時点で八王子線線路は既に天白川北岸寄りに移設されているはずで、当然この図面が作成された昭和23(1948)年時点でも線路は室山駅プラットホームと天白川に挟まれる形に走っているはず・・・なのだが、図面をよく見て頂ければ分かる通り線路は未だプラットホームの北側を走っており、道路と接する形になっているのだ(下画像、赤丸部参照)。

この図面の通りなら、当時の室山駅ホームに行くには同線路を渡らねばならない

昭和23年といえば八王子線(日永~伊勢八王子)区間が電化される年でもあり非常に微妙な時期だ。残念ながらこの図面作成時期が電化される「前」なのか「後」かを正確に知る術はない。が、それでも間違いないのは「前」だろうが「後」だろうが同図面が作成される昭和23年までは室山駅ホームの北側を線路が通っていた可能性が高いことを示す重要な史料だ、ということだ。前回の自身の解釈がわずか2週間にして覆される(笑)という皮肉な発見に面白いやら申し訳ないやら複雑な心情が・・・。原因は戦後三重交通㈱」「三重電気鉄道㈱」「近畿日本鉄道㈱」と次々に管轄する鉄道会社が変わる八王子線の同時代の公文書調査と確認が行き届いていないため発生した誤りと思われ、これらに関してはいずれ公文書調査等により正確な時期や経緯が報告できるよう対処できればと思います。とりあえず現時点では正しいのかどうか不明ですが、前回ブログの内容は誤りの可能性も高いため、ここで謹んでお詫び申し上げます。

さて、そうなるとさらに面白い事実が浮かび上がってくる。現在でも在りし日の室山駅を撮影したものとして現・西日野駅前の看板にも紹介されている写真には、古枕木等を使用しいかにも「後付けしました」的な木製の延長プラットホームとその下に隠れる四日市方面に延びるコンクリート製スロープの様子が鮮明に写っている(※下画像参照)。

数多く残る室山駅の写真のうちの一枚。写真手前は既にカーブに差し掛かっている

このおかしなホーム形状はおそらく蒸気機関車での運行当時は客車2両連結だったためホーム長が足りていたが、電化されたことで駆動車両を含めた客車3両となり従来のホーム長では足らなくなってしまったために延長されたホーム形状」だと考えられる。つまり、室山駅のプラットホーム自体は線路の移設(蒸気機関車から電化へ)の過渡期を経てもなお場所自体は全く移動しておらず、乗降場所が北側から南(天白川)側に移動した(線路が移動しただけ)という風に考えるのが自然だろう。公文書の確認が出来ていないので最終的な結論はまだ出せないが、昭和23年の八王子線電化に伴い線路を室山駅ホームの南側を走るような形に移設、乗降場を反対面に移し木製ホームを延長するという変更工事が行われたのであろう。・・・が、地元郷土史等の伝承を見ても戦後最近の線路変更工事にもかかわらず「電化の際に室山駅乗降場の向きが変わった」「線路の位置が変わった」などという見聞や証言は不思議なことに今のところ全く見当たらず、実際にそういった工事が行われたかどうかの確証はない。これら戦後直後の変更の検証も今後の調査対象であろう。

 

とりあえず、緊急報告として挙げておこうと思う。当時の状況を知る方の証言などを頂戴できれば有難いのだが。

(※終わり)