2022-01-01から1年間の記事一覧
さらに続き。『伊勢新聞』記事から三重軌道㈱の足跡を追う。 まずは『伊勢新聞』に掲載された写真から(以前の記事でも紹介したもの)。 明治45年7月20日付『伊勢新聞』 コピーが不鮮明で読み取りにくいが、写真右側に「江勢道路全線踏査の一行(三重軌道室山驛…
前回の続き。地元新聞『伊勢新聞』の記事から三重軌道㈱の足跡を追います。 前述「諏訪新道」記事掲載後の1910(明治43)年は、軌道敷設免許下附の通知と株式会社設立のための株券購入を募集する記事 ①10月26日付「軌道敷設免許状下附」 ②11月19日付「三重軌道…
前回にも書いた通り、三重軌道㈱の設立経緯に関しては四日市鉄道㈱に比べあまり詳細な記録は確認されていない。 が、当時の四日市以南の伊勢湾沿岸地域は大街道・東海道ルートから外れていることもあってか鉄道が敷設されていなかった。当然ながら、地元への…
前回の記事も含め、これまで何度も三重軌道㈱がどのような経緯で発足し開通にこぎつけたのかを書いてきたが、実際にはそれらを確定させる史料などの正確な情報はあまり残されていないというのが実情だ。 これに対し、最終的には三重軌道㈱と一部の軌道を並列…
明治時代末期の伊藤製茶部主任・伊藤六治郎のことを書く前に、まずはこの当時の伊藤製茶部を含めた伊藤5事業部のことを紐解く必要がある。 5世伊藤小左衛門(尚長、1818(文政元)~1879(明治12))が四日市室山の「近代産業の祖」たらしめているのが、江戸末期…
何年ぶりの書き込みだろうか。 ずっとちまちまと調査は続けていた。が、やはり地元にいる限りはなかなか核心に迫りうる情報は得られない。調査を進めつつ、私個人が考える歴史の流れに沿った八王子・内部線及びその周辺の変遷についてのストーリーを、脱線し…