後編では、鈴鹿支線(現・内部線)延伸される際の日永駅の経緯について見ていく。 その前に、そもそも鈴鹿支線の計画はいつ頃どのような理由で立ち上がったのか。鈴鹿支線計画の出発点を探ると、昭和11(1936)年出版の絹川太一編『伊藤傳七翁』という書籍に突き…
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