うつべ街かど博物館は四日市随一の博物館。

四日市市采女町にある「うつべ町かど博物館」

杖衝坂の中腹に建つ博物館全景。写真下の白いコンクリート道路部分が旧東海道

地元・内部地域の歴史や文化を伝える旧東海道沿いの古民家を利用し運営している、地域住民手作りのミニ博物館だ。毎週金曜と日曜の午前中だけ開館している(※不定期で月曜と水曜にも開館している場合もあるようだが)、どこの地元にもあるようなお世辞にも大きいとは言えない(失礼(汗))郷土の資料館だ。が、実はこの「うつべ町かど博物館」、地元を走る四日市あすなろう鉄道」に関する資料のみに関して言えば、現時点で間違いなく四日市市随一の博物館であることをご存じだろうか。・・・いや、正確には四日市市随一の博物館に「なった」、と表現するべきだろう。

同館には講演会を拝聴するなど過去に何度も訪問させていただいているが、先日連絡を受け再訪した。今回の目的は今回紹介する鉄道省文書 第一門 監督 第一種 四 軌道  イ 特許 三重軌道会社 自明治四十三年至大正六年 巻一』の複写版だ。2月現在、まだファイルのタイトルが完成していないのか手書きの貼り紙状態で本棚中に収められている状態になっていた(※下写真、同館にて撮影)。

資料館内の保管状態。隣の「三重鉄道」は国立公文書館の公文書が一部収蔵されている

こちらは過去の記事でも何度も提示し紹介している、埼玉県大宮市の鉄道博物館に所蔵されている公文書の簿冊(※同博物館では実物ではなくマイクロフィルムとして撮影されたものを閲覧するようになっている)のコピーである。これは四日市あすなろう鉄道の現役運転士でもあり、同鉄道の歴史研究も行っている当館所属の上野理志氏がわざわざ現地まで足を運び、2日間にわたり390枚、ページ数にして700ページ以上に及ぶ公文書の全ページを印刷し持ち帰ってきたものである。文章にして表現するのは簡単だが、その努力と労力がどれだけ大変なものであるかは実際に現地に行った人間でしか分からない。それだけでも尊敬に値するのだが、氏の功績はこれにとどまらない。この公文書資料を持ち帰り、地元の博物館に存在すること自体が四日市市にとってどれほどものすごいこと」なのか、分かるだろうか。

現在の四日市市の歴史を語る著作物として正式なものは四日市市史』である。全20巻刊行され、第1巻は昭和58(1983)年刊行、最終(最新)刊20巻「年表・索引編」は平成14(2002)年1月に刊行されている。つまり、現在の四日市市において正式な歴史検証はほぼ西暦2000年代以前で止まっているということになる。実際、四日市市史』史料近代編(第11~13巻)を見ても、国立公文書館に所蔵されている四日市鉄道」「三重鉄道」関連の公文書は掲載されているものの、今回の公文書内容が紹介されている箇所は全く存在しない。それもそのはず、今回の公文書は国立公文書館には所蔵されていないうえ、その存在が研究者によって公式に明らかにされたのは僕の知りうる限りでは平成10(1998)年に三木理史氏が著された「近代日本の地域交通体系研究」という論文が初出となっており、四日市市史』近代編完成後に存在が知られるようになった可能性が高いと思われる(※これはあくまで僕の個人的解釈ですが)。つまり、現在うつべ町かど博物館で展示されているものは四日市市の正史でも紹介されていない、新発見の歴史史料」ということが出来る。

 

四日市市の正式な歴史に示されていないため事実上「新発見」となる史料で四日市市立博物館」四日市市立図書館」にも存在しない、さらには東京・千代田区にある国立公文書館に行っても所蔵されていないため見られない、埼玉県の鉄道博物館に行って「のみ」閲覧ができる当時の正式な「公文書」が、(複写物とはいえ)「うつべ町かど博物館」で簡単に見ることが出来のだ。

東京にある国立の資料館に行っても見られない史料がここに来れば閲覧できる。この公文書(コピー)一つの存在だけで「うつべ町かど博物館」が四日市市随一の博物館だと、個人的に断言できる。・・・ただ、当の公文書の内容が理解できる=解読できるかどうかでその価値も変わってしまうだろうが(笑)。難しい漢字が分からない小学校低学年の子ども達には難しいかもですが、四日市市軽便鉄道の歴史を知りたい方にとっては第一級の史料であることは間違いないだろう。

交通博物館が保存する実際の同文書表紙(特別の許可を頂き撮影。関係者様に感謝)。

 

最後に。

個人的な意見だが、この史料の持つ価値はそれこそ新たな四日市市史』を再編すべき事象をも含んでいるほど重要な内容を持っているものと感じる。複写物とはいえ、現在の四日市市形成に至る歴史に大きく関わるこのような貴重な史料は、本来は上野氏のような一個人が苦労して入手するものではなく、市当局側が全力を賭して入手すべきものなのではないかと個人的には考える。その存在を認知し自治体側が直接動けば、場合によっては実際の公文書の実物レプリカを作成して博物館等で展示・自由に閲覧することだって可能なはずだ。国立公文書館に所蔵されている公文書に対しても同様のことが言えるが、四日市あすなろう鉄道そのもの自体がどういった経緯で完成されてきたのかといったような歴史認識のアップデート」及び検証が平成時代(※しかも間違った認識状態)のまま更新されていない部分に、同鉄道を市の文化遺産・観光資源と位置づけている現状での大きな問題があるのではないだろうかと思う。間違った認識のまま進んでいけば必ず同じ過ちを犯すことはまさに「歴史」が証明してくれていますから。あくまで個人的意見ですが。

おそらく「うつべ町かど博物館」は、これからもこの第一級の歴史史料とともに四日市市随一の資料館として穏やかに運営されていくだろう。このことに四日市市民、そして四日市市が気付くのはいつのことになるだろうか、楽しみで仕方がない。(…こんな貴重な史料を、しかも入場無料で閲覧できるなんて、本当に奇跡でしかない…(涙))

 

是非時間を取って閲覧しに行くことをおすすめします。