三重県立博物館の貴重な資料を閲覧。

先日、三重県立博物館が所蔵する「三重鉄道敷設関係図面」という史料を閲覧する機会を得ることができた(下写真)。これは三重県ホームページ内「歴史の情報蔵」という所

「三重鉄道敷設関係図面」表紙。大正5~11年の関係図面(原書)が保存されている。ちなみに本史料を閲覧するための手順を文末に紹介しておきます。興味ある方はどうぞご参考に。

でも詳しく紹介されているが、その記事内では現在の内部線のルーツとなる日永駅から現在の鈴鹿市伊船町までを結ぶ「鈴鹿支線」に関する図面類だと紹介されている。僕が三重軌道㈱に関する調査研究を始めた際、これまで紹介してきたように創立当初の明治末期~大正初期の歴史から順に調査を進めていたためにその時点ではまだ開業していない内部線、つまり「鈴鹿支線」の調査に関しては後回しにしていた。そういった理由でこのタイミングでの閲覧となったのだが、偶然にもこれまで解決できなかった創立当初の三重軌道㈱の真実の姿を解き明かすヒントとなりえる史料らしき図面を当史料の中に発見出来たかもしれないのである。・・・そのヒントの話は次回にするとして、今回はその中のある一つの図面集についての話を。

今回紹介する「三重鉄道敷設関係図面」内の史料のほとんどは本来入っていたであろう古封筒とは別に5つの新しい封筒に分けられ保存されている。そのうえ図面には一部を除き作成日が入っていないため、何を目的にいつ頃作成された図面なのか分からない。その中の封筒のうち左上に「11」とだけ書かれた封筒に入っている図面類がある。それ以上何の説明もされていないため当時仕分けした担当者もこの図面が何を意味するものなのか判別がつかなかったものと推測されるが、この図面はおそらく大正5年8月に三重軌道㈱軽便鉄道として認可経営を転換、新たに三重鉄道㈱を発足させるため請願する際に添付・提出した敷設現況図と思われるのだ。国立公文書館所蔵の『鉄道省文書』「第一門 監督 二 地方鉄道 三重鉄道(三重鉄道) 巻一 大正5年」の件名No.4内に同年8月18日付「工事施工の件」の文書中に三重鉄道㈱軽便鉄道として経営する際必要となる「工事方法書」(※軌道条例から軽便鉄道法に則った基準に施工し直すための仕様書。大正5年8月18日付「施工認可申請書」内に添付されている)が残されているが、そこに記載されている施工内容と今回閲覧した図面内容とがほぼ一致することからこのような推測・判断に至っている。

大正5年8月18日付「施工許可申請書」に添付されている工事方法書の一部。

 

分かりやすく簡単な一例を挙げてみよう。上写真左側の2~4行目に

「…日永停車場ニハ列車ノ行違ヒヲナサシムルヲ以テ退避側線ヲ設ケ上リ下リ両乗降場ヲ置キ一腕場内信号機ヲ二基建設ス別紙第二十三号圖之通リ」

という記述がある。日永停車場は三重軌道㈱の創立当初から行違い用の退避側線と上り下り両乗降場が設置されていることから今回特段の設備変更はないと思われるが、文中の「一腕場内信号機ヲ二基建設ス」「別紙第二十三号圖」の記述に注目してほしい。

県立博物館所蔵の第23号「停車場図」(左)と、その中の拡大した日永停車場の図面(右)

そして上写真(左)が県立博物館に所蔵されていた第23号図面「停車場図」だ。図面中の中央下に書かれている日永停車場図面を分かりやすく拡大したものが右側写真である。見ての通り右カーブを描く上り下りの線路分岐部分すぐ横のカーブ内側に一腕場内信号機のイラストが見て取れる。これら「施工認可申請書」と工事方法書・図面類を受け取った鉄道院は、3回にわたり計27項目もの図面や内容の修正・指示通牒を送っている。その指示通牒項目の一つに日永停車場の場内信号機について言及している項目があり、その文中ではこのように表現されている(下写真の最後の2行)。

工事方法書に対する鉄道院の指示通牒の一部。左側9番目の指示内容に注目

「九、日永停車場ニ於ケル場内信號機ハ最端転轍器ノ外方ニ移設スルコト」

との指示を受けている。もちろんこれだけの理由で決めつけるのは危険であるし更なる内容の検証の必要はあろうが、敷設計画図にまだ鈴鹿支線(内部線)分岐の記述も入っていないこと、これら通牒文書の内容と場内信号機位置がまだ未修正の状態であることからも、この図面は少なくとも大正5年8月以前に製作されたものと推測されるのだ。

この図面の存在意義の大きいところは、平面図のみならず縦断面図・橋梁図や車両図面など三重鉄道㈱となる大正5年以降の線路形状を含む詳細情報が読み取れるところだ。実は国立公文書館には鈴鹿支線(内部線)の延長計画が持ち上がる時期の大正6~9年間の鉄道省文書』が何らかの理由で焼失し現存しないため、現状で計画立案に至る経緯や最初期の計画などの手続の流れを正確に読み取る手段がほとんど存在しなかったというのが実情だったのだ。が、今回閲覧した図面類はそれら計画の経緯の流れを補完しうるかもしれない非常に重要で貴重な史料であるといえよう。もう少し鈴鹿支線(内部線)に関する下調べを綿密に行った後、改めて閲覧しに行きたいと思う。

さらに今回の「三重鉄道敷設関係図面」の中には前半で書いたようにこれまで僕が一生懸命調べても何の手がかりも見つけられなかった三重軌道㈱時代の「室山停車場」の真実に迫れるかもしれない情報も発見することが出来た(かもしれない(笑))。次回は、これまで何度も取り上げてきた「室山停車場」の謎について改めて追求していこうと思う。

 

 

※「三重鉄道敷設関係図面」を閲覧する方法

当図面は県の「特定歴史公文書」に指定されているため、当日いきなり博物館へ来館し閲覧申請しても閲覧することはできません。事前に「三重県生活環境部 文化振興課 歴史公文書班」あてに「特定歴史公文書等利用請求書」を提出しなければなりません。なおこの利用請求書は県立博物館2階・史料閲覧室に行けば用紙が用意されていますし、その閲覧室の窓口で提出もできます。

①「利用請求書」に必要事項を記入し博物館に直接持参か郵便・FAXで送付します。この際、必要事項内に「簿冊名」や「識別番号」を記入しなければならないので必ず事前に検索をかけて調べておきましょう。最大5冊の簿冊まで同時閲覧が可能です。下記のアドレスから検索と「利用請求書」ファイルがダウンロードできます(※なお不明な点は 059(253)3690 に電話しましょう)。

三重県|特定歴史公文書等の利用制度(mie.lg.jp)

(アドレス)https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/000236866.htm

➁「利用請求書」送付後、数日~1週間程度で担当者から史料閲覧希望日の日程調整の連絡が入ります(電話・FAX、メールの場合もあり)。基本は三重県博物館(Miemu)開館日が閲覧可能日です。日程調整完了後担当課から「特定歴史公文書等利用決定等通知書」が郵送されてきます。これで手続は完了、当日通知書を持参して三重県博物館(Miemu)3階の史料閲覧室にて閲覧できます。なお当史料は直接素手で触ることはできますが、貴重な史料のため取扱いには細心の注意を払って下さい。ちなみに僕が手続した際には手数料などは一切かかりませんでした(博物館入場料も含む)。

ただこのように閲覧希望の申請から実際閲覧できるまでに最低でも2週間を要します。もし自由研究等で夏休み中に史料を閲覧したい場合には早めの申請をおすすめいたします。・・・これが国立公文書館の『鉄道省文書』だったら、利用者登録さえ済ませておけば前述の「利用請求書」提出すれば数十分待てばその日のうちに閲覧できるのです。その場所にさえ行けば(笑)!