室山駅に関して新たなる発見!

2か月ほど前に再度室山駅の歴史についての考証を前後編にわたって書いてきたが、その後再び県立博物館にて史料閲覧をした際、前回発見できなかった新たな図面を発見した。その中に室山駅の歴史と変遷を確定づける決定的な記述を見つけることが出来たので、今回はそれを紹介したいと思う。

史料名は前回同様『三重鉄道敷設関係図面』だ。大量の図面が5つの新しい白封筒と古封筒の一部に収蔵されて保管されている。当時より収められていた古封筒は一冊に綴られ図面とは別に保管されている(※下写真参照)のだが、前回閲覧時もかなり気を付けて

『三重鉄道敷設関係図面』の古封筒束をまとめたものの表紙部分。一部図面は今もこの古封筒の中に収められている。今回新たに発見したのもこの古封筒の束から出てきた。

確認したはずだったのだが、何も記述のない1枚の封筒の中から1枚だけ図面が出てきたのだ。もし今後実際に閲覧しようという予定がある方は是非こちらの古封筒束の中にも注意を払っていただきたい。出てきたのは前回紹介したものとはまた少し違った西日野停車場平面図と室山停車場の平面図・断面図だ(下写真)。

西日野・室山停車場平面図。ただ作成日等を特定できる情報は書かれていない

図面には作成日など時期が特定できる情報は書かれていないが、前回紹介した「両停車場予定設計図」よりも両停車場の避退側線の新設や室山駅の駅舎上屋の配置などが詳細に書かれていることから、大正5年末期の三重軌道㈱から三重鉄道㈱への経営移管時に提出された設計図の詳細修正版であることが推測できる。

この図面の興味深いところは室山停車場の断面図がついており、駅舎の形状が視覚的にどのような形状であったのかが分かりやすくなっているところだ(下写真参照)。規模的にもかなり大きな施設だったことが分かってもらえるだろう。

室山駅の断面図部分のみを拡大、左が南方向。貨物側線は駅舎屋根下に進入している

そしてこの図面の最も注目すべき部分は平面図だ。在来線、変更線(本線)、貨物側線と変更前後の線路配線、室山停車場の中心哩程が3哩21鎖としっかり記載されているのに加え、「元停留場位置 3哩23鎖」と旧停留場のあった箇所と哩程まで記載されているのだ(下写真、赤線部参照)。

室山駅の平面図部分のみ拡大したもの。字が読みにくいのでさらに拡大する

室山駅平面図の右半分部分をさらに拡大したもの。元停留場の記載がある

旧停留場と新停車場とが2鎖(約40m)移動しているとまで位置関係が明確に分かる史料はこれまでに確認できておらず、ある意味新発見と言える。さらに大正元年開業時の室山駅は「停留場」であったこと、図面を見ても当時の室山停留場には貨物駅舎など立派な施設は存在しなかった(避退側線などの記載がない)ことがこれで証明されたこととなるのだ。そういった意味でもこの図面の存在意義は大きい。

あとは、この立派な室山停車場が完成し実際に稼働し始めるのはいつからだったのかという問題だ。というのも、大正5年三重鉄道㈱への移管時には西日野・室山停車場とも線路配線変更に伴う水沢街道の道路形状変更を申請していたのだがなかなか許可が下りず、12月運輸開始を急ぐあまり「いったん停留場として運輸開始する」(※赤線部参照)

大正5年11月16日付「工事方法変更認可申請書」左は「理由書」。

という哩由書を提出している(上左側写真)。つまり軽便鉄道としての「三重鉄道」開業時にはまだ西日野・室山停車場は完成していなかった可能性が高いということになる。このあたりの真相もこれからの調査研究の経過次第、といったところだろう。

 

少しずつではあるが、三重軌道㈱時代の八王子線の姿が見えてきた気がする。現在は明治43年の軌道特許下付時点での敷設予定ルートが四日市市街のどの付近を通そうとしていたのか、過去の土地台帳と地番から割り出せないかと四日市市役所資産税課の協力も得て調査を開始しようとしているところだ。とにかく時間がかかりそうなのですぐには難しいだろうが、またいずれその調査結果もここで紹介できればと思っている。

 

 以上