「伊勢八王子駅」駅名改称に関する新情報が取れた

ずっとずっと念願だった、国立公文書館へと足を運ぶことができた。調べても調べてもなかなか確かな新しい情報をつかむ事ができず、同時にプライベートでも色々とあって時間がかかってしまったが、やっと少しだけ前へ進む事が出来た。(ただ、現時点でプライベートな面が解決してないのが唯一の不安だが、それはこのページでは関係ないことなので書かない。)・・・話を本題に戻す。

 

以前(※2021年1月28日の記事)の書込みで、あくまで「個人的推測」という前提で

「駅名変更時期は、1928(昭和3)年3月31日~1929(昭和4)年3月31日の1年間の間のどこか、というところまで絞り込むことが出来た」

と書いた。今回、さすがに名称変更の日にちを正確に確定させるまでは踏み込めなかったが、公文書調査でかなり有力に確実に、短期間の間隔に絞り込めることができたのではないかと思うので、今回はそれを紹介したいと思う。

 

対象となる史料は、国立公文書館(本館)に所蔵されている

簿冊【「鉄道免許・三重鉄道(三重交通)4・昭和2~7年」】内の

件名No. 7四日市、諏訪前間営業廃止の件(昭和02年12月24日)」及び

件名No.11四日市外8停車場設備変更の件(昭和3年02月25日)」

の2件の文書。内容の詳細は確認できないが「国立国会公文書館 デジタルアーカイブのページで検索をかけると「件名一覧」は見る事が出来るので、興味ある方は一度見てみることをお勧めいたします。

上記2件の文書に限らず、それぞれの件名番号の文書中にはもちろん関連書類1枚のみの場合もあるが、大抵は関連する複数の書類や通牒(今回の場合鉄道院からの指示や照会が書かれた通知書)が収蔵されている。件名後ろの日付はそれらの事象の最終決定日であることをまず念頭に入れていただき、上記2件内所蔵の書類群を概略を解説しつつ時系列的に列記し、「個人的推測」を述べていく。

 

まずは件名No.7四日市、諏訪前間営業廃止の件(昭和02年12月24日)」

◎1927(昭和2)年11月10日

 三重鉄道㈱「三重鉄四日市市諏訪間廃止ノ件申請書」を提出。熊澤社長名義で四日市市~諏訪前駅間の線路敷を「伊勢電鉄(伊勢電気鉄道㈱)ニ譲ル為メ」譲渡する旨を伝える。なお、この文書では「八王子村」駅に関する記述は見られない。

※ちなみに東海の飛将軍・熊澤一衛社長は、約半月前の同年10月24日に開催された臨時株主総会選挙で新取締役筆頭(社長)に就任している(同・件名No.6【取締役及監査役新任登記済届】内の文書「商業登記変更届」より)。

◎ 同 ( 同 )年11月18日

上記申請書に対する鉄道院からの(手書きの)通牒内に、路線図とともに「八王子村」の記述がある。三重鉄道㈱側がこの時点で駅名を「伊勢八王子」に改称していたかどうかは定かではないが、手書きの通牒文書なため正式な確証要素ではないが、11月18日時点では少なくとも鉄道院側には駅名改称が伝わっていないことは推測できる。

・・・結局、申請書内容自体が四日市市~諏訪前間の問題のため、以降この文書綴内で八王子村駅に関する記述は見られなかった。

 

次に、件名No.11四日市外8停車場設備変更の件(昭和3年02月25日)」

◎1928(昭和3)年2月2日

三重鉄道㈱「停車場構内変更並ニ増設届」を提出。瓦斯倫(ガソリン)客車を併用するのに伴い、各停車場の配線や転車台設置・車庫移動などを増設する旨を明細と共に届出たもの。南浜田停車場を除く八王子線8駅と内部停車場、合計9駅の変更点が記載されているが、この文書内の各停車場一覧の中に「伊勢八王子停車場」という記述が見て取れる(下写真)。 

「停車場構内変更並ニ増設届」の一部。「伊勢八王子停車場」の記述が見える

文末には「昭和三年二月二日」の日付もあり、この文書が手書きではなく作業に手間のかかる活版印刷で製作された文書であることから、少なくとも昭和3年2月2日時点には三重鉄道㈱内では正式に「伊勢八王子」駅へと名称が変更されていることが確定といえるだろう。

 

以上2点の文書から、「八王子村」駅から「伊勢八王子」駅への改称がなされたのは、

1928(昭和2)年11月18日~1929(昭和3)年2月2日の約3か月間のどこか

という推測が成り立つ。ただし、昭和2年11月18日~はあくまで鉄道院側目線であり、三重鉄道㈱はそれより早い段階で改称していた可能性はあるが。さらに言えば、以前の考証(※2021年1月28日記事)で僕が当時参考にした「鉄道統計資料 昭和2年 第3編 監督」(昭和4年2月28日発行)では昭和3年3月31日現在」という注記情報が書かれていた」とも書いており、~1929(昭和3)年2月2日までというのも若干の矛盾を感じる気もする。が、これは単に名称変更と資料発行までの間の鉄道院との連絡、あるいは届出が不十分か間に合わなかっただけではないかと推測される。いずれにせよ、今回の調査で正確な日付までに迫れなったことは非常に残念ではあった。

皆様のご意見を賜れれば有難く存じます。

 

最後に一つ、あくまでこれは個人的な推測でしかないが、やはりこの「伊勢八王子」駅名改称問題は、熊澤一衛が大きく関与していることは間違いないのではないだろうかと今回の調査結果を見て改めて感じた。鉄道省文書から出てくる駅名改称時期のタイミングと、熊澤一衛の社長就任・三社合併のタイミングがあまりにも一致しすぎているからだ。もし、今後の更なる調査で昭和2年10月~3年2月までの間に開催された三重鉄道㈱の株主総会の詳細な議事録等が発見されれば、あるいは駅名改称に対する何らかの報告・決議が見つかるかもしれない(他年度に議事録の詳細が書かれた書類は見つかったがこの年の議事録は収蔵されていなかった)。もしかしたらその総会で、熊澤社長が堂々とぶち上げたのかもしれませんな(笑)。

 

さて、次の話題は何にしようかな!