三重軌道「諏訪新道敷設」に関する個人的見解。(中編)

前回の続き。三重軌道㈱の軌道敷設特許申請が1910(明治43)年1月15日の参事会議会で賛成決議され,、三重県に開申(三重県庁を通じ鉄道院に請願される)されたところまでを書いた。

・・・が、その前にお詫びを一つ。前回記事で四日市鉄道㈱と全て表記しておりましたが、正確には社名変更をする同年10月4日以前までは四日市軌道株式会社」が正しい名称であり、10月4日以降が四日市鉄道株式会社」となります、ご了承下さい。

ただ、訂正ついでなのでこれ以降も変更以前・以後も共通して「四日市鉄道㈱」と表記させていただきます、めんどくさいから(笑)。

 

では本題に。

この決定を受け、三重軌道㈱発起人協議会所属の7人(伊藤昌太郎(まさたろう、後の7世伊藤小左衛門)、九鬼紋七らは同年3月10日四日市商業会議所で協議会を開催し、

「同鉄道線路は四日市諏訪新道路に敷設すべきについてはその道路幅が現今四間にして狭隘(あい)なためこれを八間幅に拡張すべき必要あるを以て拡張費の一部を会社にて負担し大部分は四日市市の出費を求めることに決しその申込を為す」(同年3月17日付伊勢新聞記事)

とする内容を決議。文中「現今四間(約7.2m)が、前記した明治40年完成した四日市市四大事業の一つ・諏訪新道拡幅工事の結果完成された道路幅で、協議会は特許申請が参事会のお墨付きで通過したことに気を良くしたのか、軌道敷設スペースを確保するため3年前四間幅に拡張したばかりの諏訪新道をさらに八間幅(約14.4m)に拡張するための費用の大部分を市に負担させようとしている。ひいき目に見てもかなり強気な決議と言える気もするが、四日市市側としても軌道敷設を承認した手前全面却下する訳にもいかない状況であり、既にひと悶着ありそうな様相を呈している(笑)。

この直後、同年3月15日付で当時の三重県知事・有田義資氏から総理及び内務大臣宛に四日市鉄道㈱「軌道敷設特許願書進達ニ付副申」が提出される。この時点で有田氏が前記の協議会のムチャな決議内容(笑)を知っていたかどうかは時期的に微妙だが、一部参事会議員と四日市市長、それと知事が綿密に連絡を取り合っていたとすればその可能性は十分にありえるだろう。ともかくも、知事は市内に二つの軌道敷設申請が併願されていることに対し、職員の実地調査の結果も踏まえたうえで副申で

「…本線ハ有望ナル線ニ有之候ヘ共四日市地内に於ケル計画線カ客月八日土第七八ニ三號ノ一ヲ以テ及進達候三重軌道株式会社ノ線ト殆ト平行シ斯カモ國道付近ニ於テ交叉スル等ハ交通上危険不尠ト存候ニ付双方協議セシメタルニ容易ニ纏ルヘキ見込無之候就テハ本線ノ起点ヲ三重軌道株式会社ノ國道付近交叉点ニ変更セシムルカ又ハ四日市ニ於ケル停車場ヨリ右交叉点ニ至ル間軌条ヲ複線トシ共仝使用セシムルヨリ他ニ方法無之乎ト被存候ヘ共…」(一部抜粋、鉄道省文書』第十門 私設鉄道及軌道 三 軽便鉄道 三重鉄道元四日市鉄道 巻一 自明治四十三年至大正元年 (国立公文書館所蔵)より)

三重県知事 軌道敷設特許願書付副申(原文)。まだ四日市軌道㈱という名前のまま。

と伝えている。ざっくり説明すると、「三重・四日市両鉄道の予定の線路は国道(東海道)付近で交叉する計画になっており、危険なので両社とも協議中だが容易には解決しない、(四日市鉄道の)線路起点を交叉点付近にするか複線にするかしか方法がなさそうだが、両線とも有望な路線なので出来ればこのままの申請内容で認可してほしい」といった感じの内容だ。

この文書を見る限りでは、この時点で三重・四日市両鉄道㈱の間で妥協点を見出すべく既に何らかの交渉の場が設けられた事実があったかのように見えるが、実際は疑わしいところだ。というのも、敷設認可競争の観点から言えば、単に後発の四日市鉄道㈱側が圧倒的不利な状況なだけで三重鉄道㈱側には前者に妥協する点がいささかもないからである。実際、国立公文書館に残る四日市鉄道㈱側の鉄道省文書を確認しても明治43年中に三重軌道㈱と何らかの交渉を持ったような形跡は全く確認できない(※三重軌道㈱側の文書は国立公文書館に所蔵されていないため、今のところ確認できていない(確認要))。ただ間違いなく言えることは、この時点で両社にとって実は「交叉する」云々とかいう内容はどうでもよくて(笑)、最優先事項は「どんな形であれ急ぎ敷設特許下付を得る」ことであった。既に多くの出資者を募り仮株式会社まで立ち上げており後戻りできない現状、両社とも肝心の敷設特許許可が下りなければ全てが「絵に描いた餅」となるからだ。方法などは後で交渉なり何なりで変更すれば良い、と双方考えていたに違いない。とはいえ、明治初期から製糸・製茶産業の発達で既に全国的にも名の知れた工業地区であるがゆえ認可される可能性が高かった先願の四日市~室山間の三重軌道㈱側に対し、そういう前提がないうえ後発申請、さらに同じ「軌道条例」準拠で一部区間が重複しているという、あまりにも分が悪い四日市鉄道㈱が敷設特許認可のために行った下準備や苦労・努力は並々ならぬものであったろうと想像できる。そのことを知ってか、前出の三重県知事の副申文書は四日市市と両鉄道(特に四日市鉄道㈱)三者への立場と思惑を慮る知事の胸の内が見て取れるようだ(笑)。

四日市鉄道㈱側は確実に敷設特許を得るため、鉄道院からのアドバイスも受けて「軌道条例」準拠から同年8月1日発布の軽便鉄道法」に則った敷設特許申請に内容を急ぎ切り替え、改めて8月5日付で軽便鉄道敷設免許願」を再提出する(できれば、このあたりの経緯の詳細も次回以降に改めて書ければなと思う)。これら努力が功を奏し、最終的には三重軌道㈱ともども同年11月17日付で無事に免許状が下付されることとなった。しかも四日市鉄道㈱側は、最悪の場合計画から削除される可能性もあった重複部分の院線四日市駅~浜田間も、ある条件を前提に敷設認可される。

「…同軌道線横断ノ場合ニハ運轉上支障ナキ様其ノ部分ニ限リ本鉄道ニ於テ高架ノ設備ヲ為サシムルモノトシテ免許…」(鉄道省文書』同文より抜粋)

とし、三重軌道㈱線路を横断する場合には、三重軌道㈱との交叉部分を高架設備により立体交差させること、という条件であった。

 

両鉄道の歴史に明るい方にはこの時点でお気づきのことと思うが、実はこの時点で両社軌道の配置関係には実際とは大きな矛盾が生じていることになっている。が、何とこの矛盾は今回の「諏訪新道敷設案」問題中では解決しない(笑)。これに関してはこの話題(後編)を終えた後、大正2年から始まる「三重・四日市鉄道連合駅」問題内で書くことになる。

・・・そこまでお待ちを(笑)。

 

この続きは次回(後編)にて。