三重軌道「諏訪新道敷設」に関する個人的見解。(後編)

前回(中編)の続き。三重鉄道㈱に軌道敷設免許、四日市両鉄道㈱軽便鉄道敷設免許が下付されたところまで書いた。今回は「諏訪新道への軌道敷設」問題のみに焦点を当てて書きます。長くなりますがご容赦を。

 

ここで、敷設特許免状を受けた両鉄道の建設予定ルートがどのようなものであったかを文献より検証する。

まずは四日市鉄道㈱。前回(中編)でも紹介したが、敷設特許下付の際鉄道院からの命令書によって

「…三重軌道線ト四日市市内ニ於テ並行致居候條工事施工ノ際ハ之ト接近セサル様相当ノ距離ヲ保タシメ尚ホ同軌道線横断ノ場合ニハ運輸上支障ナキ様其ノ部分ニ限リ本鉄道ニ於テ高架ノ設備ヲ為サシムルモノトシテ免許相成…」(前出『鉄道省文書』より)

とされ、四日市鉄道㈱に対しては市街の並行区間では極端に接近しないよう必要な間隔を設けること、また交叉部分に関しては同社側で高架設備を設け立体交差にすることを条件に許可を得ている。鉄道院からのこの指示に対し同鉄道は1911(明治44)年10月4日付「線路敷設工事施工認可願」を提出、工事内容の詳細をまとめた中の第11条で三重軌道㈱との交叉部分について言及、「指示通り跨線橋を架設予定」であることを伝えている(主任技術者:神田喜平)。以下第11条の原文を抜粋(下記写真参照)。

「本鉄道起点ヨリ零哩四十二鎖六十節ニ於テ三重軌道株式会社線路ト交叉スルヲ以テ別紙第十五号図面之通リ跨線橋ヲ架設シ以テ相互運転之支障ヲ避ク…」(同『鉄道省文書』より)

「線路敷設工事施工許可願」第11条文。右ページ最終行に「跨線橋ヲ架設シ…」とある

鉄道院が四日市鉄道㈱に対し、高架設備設置という条件付きながらもそのままの計画で敷設認可を出したのいうのはある意味衝撃的な内容だ。想像してみてほしい、あの煩雑狭隘な諏訪駅周辺で軽便鉄道蒸気機関車跨線橋を登ってオーバーパスしていたかもしれないのだ、豪快であるとともにただ危険でしかない(笑)。そもそも、貨物や乗客を満載した当時の小型蒸気機関車が登れるのかすら疑問だが。

…ちなみに前回書き漏らした四日市鉄道㈱側の起点駅については、最初に提出した「軌道条例」での申請の際は院線四日市駅西側の周辺地を具体的に指す「四日市市大字濱田字北起」という住所表記で起点駅を記している。が、その後三重軌道㈱との軌道交叉問題が表面化した際に起点を諏訪付近に強制変更される可能性があったためか理由は分からないが、「軽便鉄道法」での申請に変更する際は同時に住所表記を四日市市大字濱田ニシテ…」と、指定地に幅をもたせた形のような表現になっている。後に示す三重軌道㈱の敷設予定ルートの具体案と比べると、かなりアバウトな表現といえる。

 

対して三重軌道㈱側の敷設ルートはどうか。つい最近、埼玉県大宮にある鉄道博物館にのみ所蔵されている鉄道省文書』「第一門 監督 第一種 三重軌道会社 自明治43年大正6年」を閲覧する機会を得た。この中で明治42年10月21日付「軌道敷設特許願」中の文書「国道里道及専用線路経過地調書附専用線採擇ノ理由」で、起点~終点までの線路の種類(専用軌道か道路敷設か)とそのルートを選んだ理由を細かく説明している。ここでその詳細はあえて書かない(下写真を参照して下さい)が、その中でも特筆すべき点を挙げる。それは、

四日市駅が終点ではなく阿瀬知川北岸(阿瀬知川駅)を起点」としている

諏訪新道(文書中では「里道」と表現)に軌道敷設する事を明言している

南浜田の一部~赤堀南町までの区間は国道(東海道)に敷設する計画であった

「国道里道及専用線路経過地調書附専用線採擇ノ理由」読める人だけ読んで(汗)

の3点であろう。最終的に➁と③は実現していないが、これらは四日市の歴史を記したどの書物にも書かれていない新事実でもある。特に③の国道、いわゆる「東海道」にも(あの狭い道にも!)軌道を一部敷設しようと試みていた計画だったことは驚きである。とにかく、明治43年時点で三重軌道㈱が諏訪新道に軌道を敷設する計画だったことで、四日市鉄道㈱の特許下付時の条件と合わせ両鉄道が諏訪付近で双方の線路が交叉する計画であることはこの時点で100%確定であるといえる。

どうでもいいが、こんな郷土史研究を始めてわずか数年の素人研究家(笑)が、ちょっと『鉄道省文書』を閲覧しただけでも分かるようなこの衝撃的な事実を(ただ最終的に実現しなかったからといって)100年以上誰も気付かず『四日市市史』にも掲載せずに放置しているのは、いったいどういうことなのだろうか。この問題がそのまま後に両鉄道が院線四日市駅までの延伸に3年もの歳月を費やす原因になるというのに。

 

まあそれはともかく、以上の文献の情報を踏まえて、明治43年の敷設特許取得時点での両鉄道の予定ルート(※推測)を独自に図示してみた。四日市鉄道㈱赤色三重鉄道㈱青色で示す。参考地図は明治45年四日市市全図」(四日市図書館所蔵)。

もちろんこの予測ルート図は僕が史料等から導き出した単なる想像図であり「推測」の域を出ないが、

三重軌道㈱の軌道が北側(諏訪新道上)を走り

四日市鉄道㈱の軌道が南側(専用線路)を走る

諏訪公園の国道周辺で軌道が交叉する予定だった

この3点は間違いなく断言できる重要ポイントだと思う。そして1913(大正2)年5月16日、三重軌道㈱南浜田~諏訪間を開業させる。その様子を伊勢新聞は3度にわたり紹介している。以下記事全文(文末は掲載日時)。

「◎三重軌道三期線開通 三重軌道第三期線即ち南浜田停車場より諏訪公園に達する五十鎖の線路は工事を殆ど終り諏訪停車場も既に竣工したるを以て来る十五日より開通の予定にて右期間の乗車賃は金二銭なり尚公園内に噴水を設け停車場に至る約三十間は会社にて完全なる通路を設くる筈なり」(5月9日)

「◎三重軌道開通式 三重軌道会社は本日早朝より南浜田諏訪間五十鎖の開通をなしたり軌道車は赤字に白の徴章を染抜きたる旗をかざして車内は乗客を以て満たされるが當日諏訪公園より諏訪駅に通ずる通路約四十間には清砂を敷き通行の便をはかり煙火を放揚して景気を添へたり」(5月17日)

「◎三軌官鉄聯(連)路線 三重軌道にては諏訪駅開始以来旅客数頓に増加し収入従前に三倍するの盛況を呈しつつあるが同駅より一直線に東海道を横切り東方関西線へ乗入るべき連絡線は諏訪新道に沿ひて南方約二十間の地点に線路敷地を買収すべく既に東海道の国道東西両側の隣接地三百四十四坪の買収を終り目下手続中なり」(6月7日)

ここで間違えないでほしいのは、記事にある通り開業区間は「南浜田~諏訪」間ということである。事実近畿日本鉄道100年のあゆみ』でも三重県史 通史編 近現代1』でも『20年のあゆみ(※三重交通㈱)』でも同様の記述がなされている。この問題についてはいろいろ物議があるところだが、次回の四日市連合駅の記事内で改めて深く追求していきたいと思う。

とにかく、三重軌道㈱は諏訪周辺まで軌道を延伸はさせた。が、敷設許可下付から既に約3年が経過しており、既に諏訪駅周辺~諏訪新道周辺は家屋店舗等で密集状態と化しており、合わせて地価暴騰も想定以上のものとなっていた。これまた詳しい経緯は次回の記事で詳しく記すが、結局最終的には三重軌道㈱は諏訪新道への軌道敷設は不可能と判断し、鉄道院に対しその旨を伝える。これが1914(大正3)年12月9日、四日市市史』内でも紹介されている「三重軌道㈱からの請願書」である。(四日市市史』12巻 史料編Ⅱ P.510~) その一部を抜粋紹介する。

「…又四日市市街路供用ノ局部ハ日ニ月ニ熱闤ノ巷ト化シ、車馬路繹トシテ雑踏ヲ極メ 著シク旧観ヲ改メ狭隘ヲ告クルノ現況ナルヲ以テ、特ニ事状ヲ具シ市街線ヲ全廃シ専用線路ニ変更スルノ止ムナキニ至レリ、於爰道路其儘供用ノ企望ハ両端トモ全然画餅ニ属セリ…延長方面ハ何レモ全部専用線ニシテ貨物ノ輸送ヲ主眼トセル軽便鉄道法ニ依リ経営セラルヘキモノト存候」

請願書の全文内容を簡単に説明すると、「西日野~八王子間の道路上に敷設予定だった軌道も、結局鉄道省の道路拡幅指示のため河川改修・拡築してなくてはなくなり(余計な工費がかかった)、今度は市街線も狭くなっててこれも無理、結局道路上に敷く予定部分がほぼ全部なくなり(軌道条例のメリットは)全く「絵に描いた餅」となってしまった。ので、貨物主眼の軽便鉄道に切り替えます」と、半ば恨み節(笑)とも取れる事情を説明しつつ、ついでに軌道条例での敷設特許ではなく軽便鉄道法」への転換をも請願した内容となっている(三重軌道㈱軽便鉄道への最終的な認可はまだ先の話になる)。それはともかく、事実上この請願書により三重軌道㈱は正式に諏訪新道への軌道敷設する計画を断念したと捉えて良いだろう。残念ながら夢の四日市市街を走る路面電車(汽車)」の風景が実現することはなかったのだった。

 

最後に、この僕の独りよがりな推測が「もしかして本当かも?」と思わせる素材を紹介して締めくくろう。1936(昭和11)年の四日市市街地図の一部である。赤丸部分内に注目していただきたい。

1936(昭和11)年四日市市市街図。既に善光寺天理教カーブが形成

わずかに残された曲線を描く細道。これはもしかすると、かつてカーブして諏訪新道に接続するため三重軌道㈱が敷設した単線区間の軌道跡が残ったものではないでしょうかね?南浜田から諏訪にかけ、曲線を描く三重鉄道㈱の線路の形状とピッタリ合う気がしませんか?
実現しなかった諏訪新道上を走る蒸気軌道線、もう少し計画と着工が早ければ実現していたかもしれない、と思うと非常に残念です。

以上、「諏訪新道の路面電車?」に関する個人的な考えでした。

 

 

さて、次のお話をうまくまとめられる自信がない・・・