前回の続き、「伊勢八王子」駅の名称について。

前回「伊勢八王子」駅の名称の変遷について書いた。この問題は僕も以前から気になっていたので、色々な資料を検索しては何か手掛かりがないかと調べている途中だった。「八王子村」「伊勢八王子」への変更時期は「昭和2~5年の間」と前回書いたと思うが、つい先ほど新たな鉄道資料を発見できたため、経過報告も兼ねて紹介する。

当時の鉄道省が発行していた『鉄道統計資料 昭和2年 第3編 監督』(昭和4年2月28日発行)中の「第三節 地方鉄道現在 開業線」という項目があり、地方鉄道の主要情報を網羅しているページがある。その中の「三重鉄道㈱」の項目(P.20) 内の駅区間表記は四日市、八王子村」と表記されている。なお、この項目のページトップには「昭和3年3月31日現在」という注記がなされており、このことから少なくとも昭和3年3月31日までは「八王子村」駅のまま存続していた、ということになる。同資料の翌年(昭和3年)度の情報では、注記の情報がないので昭和4年のいつ頃までの情報なのか特定することはできなかったが、こちらの資料ではすでに「伊勢八王子」駅へ名称は切り替わっていた。結果、駅名変更時期は、1928(昭和3)年3月31日~1929(昭和4)年3月31日の1年間の間のどこか、というところまで絞り込むことが出来た。(※ちなみに、この『鉄道統計資料』国立国会図書館のデータベースで公開・閲覧できるようになっているので興味があったら確認してみて下さい)

さて、次はどの資料でこの1年間のどの時期なのか特定しようか、といったところだ。とりあえず国立公文書館デジタルアーカイブ「三重鉄道」鉄道省文書」を見ることは出来るが、現時点では「件名一覧」のみでありまだ公開されていないため、このコロナ禍の中現地に直接赴かねば文書の詳細な内容を見ることはできない。しかも、1928(昭和3)~1929(昭和4)年はちょうど伊勢電気鉄道㈱が桑名~四日市間の開通を目指して四日市~諏訪区間の路線を工事している時期であり、三重鉄道㈱・四日市鉄道㈱含め30通以上もの関係文書が混在している(ほとんどが諏訪駅近辺の工事に伴うものであろうが)。この中のどれかに伊勢八王子駅の駅名変更届の一文が隠されているかもしれない。いずれ騒動が落ち着いたら国立公文書館に行き、直接確認してみたいものだ。ワクワクする。(※こちらも国立公文書館デジタルアーカイブで検索・確認することが出来ますので、良かったら確認してみて下さい)

もう少し、他の資料がないか探してみよう。もしその他違う資料の存在をご存知の方はぜひ教えて頂けると嬉しいです。

 

さて、次はせっかく次回・今回と話が出たので、昭和2~4年にかけての伊勢電気鉄道㈱と三重鉄道㈱・四日市鉄道㈱の3社が織りなす四日市~諏訪間の線路の変遷とそこにある疑問について言及してみたいと思う。まだ調査中ではあるが、今分かっている範囲で。とりあえず、経過報告まで。 以上  1/28