大正2年の三重軌道機関車脱線事故。

津市にある三重県立図書館には明治期以降に発行された過去の新聞が何種類かマイクロフィルムの形で保存され閲覧できるようになっている。その中でも最も蔵書が豊かなのが伊勢新聞で、多少の欠落はあるものの最古で明治11年までさかのぼって閲覧することが出来る(※ただし、閲覧するための機械が1台しかなく事前に予約しないと見られない事が多い)。

さらに同図書館には伊勢新聞 四日市関係記事索引』なる、まるで誰かが手作りで作成したかのような書籍(笑)もあります。これは伊勢新聞の膨大な枚数に及ぶマイクロフィルム史料の中から四日市市及びそれに関係する企業など(基準は選者の独断によるものと思われる)の記事の見出しを掲載年月日と共にピックアップしてあるという、非常にかゆい所に手の届く親切な索引書なのだ。実際の伊勢新聞のフィルム史料に目を通せば分かると思いますが・・・この索引書を作成した人は本当にすごいです、狂気の沙汰(笑)。まあそれはともかく、この伊勢新聞 四日市関係記事索引』の中に興味を惹かれる記事見出しがあったのでそれを紹介する。

『三重軽鉄の脱線/四郷村大字東日野停留場内』大正2.2.7

『汽車を脱線させた男/三重軌道㈱東日野停車場内』大正2.4.3

『汽車妨害事件判決』大正2.6.7

開通間もない三重軌道㈱の蒸気機関車を脱線させたヤツがいるのか、ただでさえ儲けが出てなくて赤字なのに(笑)そのうえ汽車の運行を妨害するなんて、なんてひどいことをするヤツなんだ!…でも大正2年2月に発生して、その4か月後の6月にはもう判決が出ている。さすが旧大日本帝国、スピード解決だ(笑)現行犯だったのだろうか?・・・などと思いつつ、その記事を閲覧してきました。以下は各記事(※文はそのまま、漢字は多少変更してます)。

 

●三重軽鉄の脱線/四郷村大字東日野停留場内(大正2.2.7)

 「三重軌道会社軽便列車が六日午後六時三十分八王子駅を発車し同四十分四郷村大字東日野踏切より約十間東に當る停留場内進行の際何人とも知れず自動ポイント附近に二個の石塊を置去りたるものあり車輪は之を粉砕して通過せしも為めに機関車と客車とは線路を異にし機関車は脱線し約九十度の傾斜を為すに至りしも間もなく復旧したる由」

汽車を脱線させた男/三重軌道㈱東日野停車場内(大正2.4.3)

 三重郡四郷村大字西日野日稼(ひかせぎ)河北○○○は昨年十月一日夕刻汽車の往来に妨害する目的を以て三重郡四郷村大字東日野三重軌道株式会社東日野停車場構内西端のトングレールに石を挟み置きたるため同日午後六時四十分着汽車が該所にて脱線し三十分間進行を遅延したる為遂に告発されたる 同事件は昨二日汽車往来妨害罪として豫審終結安濃津地方裁判所の公判に附せらる」(○内は伏せておきます)

汽車妨害事件判決(大正2.6.7)

 「三重郡四郷村大字西日野日雇河北○○○(二十)に係る汽車往来妨害罪被告事件は六日安濃津地方裁判所にて懲役一年に宣告」

 

一言で言えば、最初の大正2年2月記事はポイント線路上へのいたずら、いわゆる置き石による脱線事故で犯人は不明。2、3番目の記事は前年(大正元年)10月1日に発生した脱線事故に関係した裁判記事で、二つの脱線事故はたまたま同一駅構内で発生した全く別の脱線事故によるものの記事であったことが分かりました(ただ今回の場合、犯行の手口や発生個所が酷似しているため同一犯の可能性が高い気もしますが確たる証拠はありません)。調べてみたらびっくりな結果でした。・・・でも実はそれよりも、大正時代に蒸気機関車が脱線して90度も傾斜したにもかかわらず「間もなく復旧」したりとか、汽車が脱線したのに「遅延がわずか30分」で済むって、あり得るのでしょうか?重機とかない時代なのに?小さな機関車だから多勢で起こしたり移動させたりしたのでしょうか、むしろそっちの方がびっくりでした。

このように、索引書は手っ取り早く情報を入手するには非常に効率的ですが、それだけでは今回のようにその内容が全く別の事柄であるにもかかわらずあたかも一つの関連記事のように見えてしまう危険があります。現代ではスマートフォン・パソコンで簡単に検索して情報を入手できる時代ではありますが、手軽に入手できる情報はその「手軽さ」の分だけ信憑性も軽く(薄く)なっている、と個人的にですが思ってます。もちろん全てがそうだという気はないですが、少なくとも歴史に関しては僕自身、その発信されている情報全てを鵜呑みにするのではなく「真実半分嘘半分」のつもりで見ています。そうして興味を持ったものに関しては自分自身で調べて真実はどうなのかを突き詰めていくのが面白いと思うのでありました。今日は個人的にも改めて大変勉強になった良い一日でした。以上 03/14