日永駅には浴場があるらしい。

国立公文書館にて保存されている鉄道省文書」(「国立公文書館アーカイブ」で一覧を確認することが出来ますので、是非一度どうぞ♪)の「三重鉄道」関係文書の一覧中に、

1928(昭和3)年11月6日付文書「日永停車場構内浴場増設の件」

という題目の文書がある。駅舎施設を変更する旨の文書はその他にも多数見受けられるが、この文書のみが「浴場」という具体的な内容をもって伝えていたため親近感を持って今回の話題に取り上げさせていただいた。

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現在の日永駅舎(東面)。画面右端が駅入口


日永駅内に浴場・・・内部方面行き1番ホームにトイレはあったが・・・? 文書の内容を確認することは出来ないため正確なところは不明だが、まあ間違いなく駅舎内の職員用浴室のことを指すのだろう。当然、職員の宿泊用寝室も用意されていたはずである。上写真は現在の日永駅舎。駅舎左端に小さな窓と換気扇用ダクトが一つずつ、おそらくトイレと風呂用のものではないだろうか(※あくまでも想像)。ただし、昭和初期と現在の駅舎の構造が同一とは限らないし実際に存在したかどうかも分からない。旧近鉄時代の関係者がいれば駅舎内の構造も教えてもらえるのだが・・・。

鈴鹿支線」の一部として、日永~内部間いわゆる現在の「内部線」が全開通したのは1922(大正11)年6月21日のこと(※日永~小古曽間は同年1月)。この年から日永駅は八王子線の途中駅であると同時に内部線との分岐駅となった。ポイント(転轍機)の切替やタブレット交換、日永駅に詰める関係職員は多忙な毎日を送っていたことだろう。手元にある1924(大正14)年当時の時刻表では、八王子村発の一番列車が朝5時55分、日永駅には6時08分に到着している。もちろん、僕個人は実際に担当の職員が駅舎内の宿泊部屋に実際に寝泊まりしていたかどうかまでを知る術はないが、内部駅にも同様の宿泊部屋があるよう(布団を干してるのを見たことがある(笑))なので、日永駅にも当然あっていいはず、と勝手に推測する(ただ、内部駅は車庫があるからねえ)。

さらに、この文書が提出されたこの年(1928(昭和3)年)、三重鉄道㈱はガソリン気動車・シハ31形を導入する。水と石炭の補給による時間的制約を強いられていた蒸気機関車と違い、このシハ31形の登場は高頻度での列車運行を実現させた(乗客が大人数の場合は不向きだったようだ)。だが、列車運行頻度が上がれば当然、駅職員の一日作業量も増える(※加えて翌年(1929(昭和4)年)以降は、四日市鉄道㈱からの同系ジ41形気動車の参入で日永駅の転車台を稼働させる作業もプラスされているようだ)。にもかかわらず、宿泊施設に汗を流す風呂がないのはさすがに可哀想ではないか(逆に今までなかったのか!)。文書のタイトルだけでも当時の労働環境の一端が想像されて、大変興味深いと思うのは僕だけでしょうか。この浴場がいつ完成したのか、また実際に設置されたのかどうか定かではないが、いつか現在のコロナ禍が終息し国立公文書館に足を運べるようになれば、できればこの文書をこの目で直に確認したいものだ。以上 02/10